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SEIANOTE

成安で何が学べる?
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在学生の制作活動から卒業後の活動までを綴る
「SEIANOTE(セイアンノート)」です

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ゲームの制作現場で活きる、 学生時代の予期せぬ出会いと経験

INTERVIEW

卒業から6年目

ゲームの制作現場で活きる、
学生時代の予期せぬ出会いと経験

卒業して3年後には独立し、現在はフリーランスのゲームデザイナーとして活躍する小野裕貴さん。話を伺うと、漫画家を志して入学し、制作漬けの日々を送るつもりが、想像もしていなかった学生生活になったよう――。しかし、現在の仕事の源流を辿っていくと、在学中も卒業後も”流れ”に身を任せてきた、小野さんのしなやかさに秘密があったようです。

小野裕貴さん

ゲームグラフィッカー

1993年高知県生まれ。2016年にイラストレーション領域を卒業後、オンラインゲームの会社に就職。転職を経て、2019年に独立。フリーランスのデザイナーとして、主にスマホゲームのグラフィック・演出を手掛ける。また、SNSでは個人制作のゲームなども発信している。

>Twitter:@imo_dekai


成り行きで飛び込んだゲーム業界。
あれよあれよと”バイプレーヤー”に

フリーランスのゲームグラフィッカーとして、都内にスタジオを構え、制作を行う小野裕貴さん。グラフィッカーとは、ゲームのキャラクターや背景、アニメーションなど、グラフィック全般のアートディレクションと制作を担う仕事。加えて小野さんは、キャラクターデザインや演出も手掛ける“バイプレーヤー”でもあります。


スマホゲームのグラフィックや演出を手掛ける小野さん。
街づくりパズルゲーム「コビトタウン-かわいいコビトとまちづくりゲーム」もそのひとつ。
(リリース日:2021年10月18日/配信元:ふんどしパレード)


卒業年の2016年にゲーム業界に足を踏み入れ、わずか3年で独立。これまで多くのスマホゲームを手掛けてきた小野さんですが、実はゲーム業界に就職したのは“成り行き”だったと言います。
「自分は、漫画家になりたくて成安造形大学に入学したんです。学生のときはデジタルで絵を描いていませんでしたし、就職活動をするつもりもありませんでした。でも、進級制作展で美大生の就活サイトを手掛けている方に声をかけてもらって、勧められるままにポートフォリオや履歴書を出していたら、ぬるっと採用が決まったんです(笑)」


新卒でゲーム会社に入社すると、「UI(ユーザーインターフェイス)デザイン」の部署に配属された小野さん。「UIデザイン」とは、Webサイトやゲームなどでユーザーが操作に迷わないように画面をデザインすること。デザインではなく、絵が描きたかった小野さんは戸惑います。
「当時は『UIって何?』というレベルでしたし、UIデザインは成安造形大学でいうと、イラストレーション領域よりもメディアデザイン領域(現:情報デザイン領域)で学ぶ分野なので、自分としては正直不本意でした。ただ、UIデザインの部署に配属されながらも上司に『絵が描きたいんですよね』と言っていたら、ちょこちょこキャラクターの仕事もやらせてもらえるようになったんです。新卒にはいろんなことを経験させたい、という会社の方針もあって、UI、キャラクターデザイン、モーション(キャラクターを動かすアニメーション)など、結果的に1年間で5回、部署を異動しました。それが功を奏して、いろんなことができるようになりました」


 分業が基本のゲーム制作の現場。そのなかで複数の職種を経験できたことが、小野さんの今に繋がっています。
「例えば、キャラクターデザインはモーションのことを考えてデザインしないといけない部分があったり、モーションはエフェクトのことを考えて動きをつけなきゃいけない部分があったりします。それぞれ別の人がつくるので、キャラクターデザイン優先でつくってしまってモーションに制限が出てしまうことや、その逆も経験しました。ほかの職種の仕事を理解しているほうがより良いものができると、そのとき実感したんです」


小野さんがレイアウト、演出、イラストを担当したスマホゲーム「バズーカ・ロワイヤル」
(リリース日:2021年9月6日/発売元:ふんどしパレード)


 1年間に約200万本のアプリがリリースされるほど、スマートフォンの普及とともに急拡大したスマホゲーム市場。業界の新陳代謝は激しく、入社すると3年目あたりからベテラン扱いとなり、新入社員を指導する立場になるのだそう。
「割と早い段階でキャリアアップさせてもらい、入社2年目からリーダー職を担っていました。1年目でひと通りの制作に携われたおかげで、できることも増え、画面全体のトータルデザインを手掛けながら、背景はこの人に、エフェクトはこの人にお願いしようと、ディレクションを行うようになっていました。実は今やっている仕事もあまり変わらなくて、当時経験したことの“お釣り”でやってきているような気がします」

経験値をためて独立。
自分の働きやすい環境をつくる

 就職した会社で順調にキャリアを積んでいた小野さんですが、入社3年目あたりから少し風向きが変わりはじめます。
「3年目に入った頃から、自分が手を動かすことよりも管理や調整をする役割が増えてきたんですね。けれど、まだディレクターという役職ではなかったりして、ジレンマを抱えていました。そんなときに『もともと絵が描きたかったんだよな』と思い出して、絵を描いて、自分発信でものづくりができる環境でキャリアアップしたいと、転職活動をはじめました。そうしたら大手の会社にイラストレーターとして採用が決まり、転職しました」



 念願だった絵を描く仕事。しかし、小野さんが新しい環境に踏み出したきっかけは「絵を描きたい」「自分発信でものづくりをしたい」「キャリアアップしたい」この3つ。自分の絵は世に出るけれど、ディレクションには関われない、規模の大きな会社ではライバルも多くキャリアアップは簡単ではない……。身を置く環境を冷静に分析した小野さんは、悩みます。
「絵を描くことは楽しいけれど、キャリアアップを考えたときに『これをあと何年やれば行きたい場所にたどり着けるのだろうか』と思ったんです。それはもう、絵が描けなくなるくらい悩みました。そんなときに、まだ退会していなかった転職サイトをのぞいてみたら、大手の会社での勤務経験があるというだけで、結構なオファーが来たんです。また、キャラクターデザイナーはたくさんいますが、求人数の割にUIデザイナーの数はすごく少ないというのもオファーがきた理由のひとつ。キャラクターデザイナーの転職は難しいと思いますが、UIデザイナーの実務経験が3年くらいあれば、おそらく転職には困らないように思います」


 2回目の転職先で、ゲームの企画から携わるようになった小野さん。「自分発信でものづくりをしたい」という想いはここで叶えられ、残すは「キャリアアップ」です。
「当時はすごくキャリアに囚われていたというか、結婚の予定もあったので『どうお金を稼ぐか』を考えていて、SNSで仕事のオファーをいただいて副業をはじめたんです。そうしたら、副業が本業になるくらいの忙しさになってきたので独立することにしました」


作業部屋のほかに、スタッフ2名が生活する部屋もある小野さんのスタジオ。「宇宙」をテーマにした空間は、物件を決めたときに描いたイメージ通り。家具の配置は、3Dで綿密にシュミレーションして決めたという。


 独立後に構えた小野さんのスタジオには、2名のスタッフがおり、彼らは成安造形大学の後輩にあたります。ひとりは在学中に小野さんとシェアハウスで暮らしており、もうひとりは2021年に卒業したばかり。ゲームの制作経験がない2人ですが、小野さんが教えながら一緒に制作をしています。
「この業界は万年人材不足なので、将来的なことを考えるとプロジェクト単位で人を雇うよりも、できる人材を育てるほうがいいと考えているんです。働く時間は、割と自由にしていて、勤務時間もとくに決めていません。やるべきことをきちんと達成できれば良いので」



“思い描いていなかった”ことから
学んだ学生時代

 在学中の4年間、大学祭実行委員会や学生会に関わっていた小野さんは、年齢も領域も超えて多くの卒業生とのつながりを持っており、今も一緒に仕事をすることがあるそう。
「高校生の頃は文化祭も体育祭も、絶対中心に入らないようにしているタイプでした。なので、大学入学後も友達をつくらず、4年間ずっと絵を描いて腕を上げ、漫画家になるイメージを持っていたのですが、実際はまったく違う学生生活でしたね(笑)。入学式で新入生代表挨拶をすることになり、その準備をしているときに当時の学生会会長に誘われて、1年生の頃から大学祭実行委員会に参加したんです。それを機に先輩や後輩と接する機会がたくさんできました。その上、シェアハウスで生活していたので、学生時代はわちゃわちゃしていました」



 シェアハウスのきっかけは某人気恋愛リアリティー番組。
「友達と『テラスハウス』を見て、あのキラキラした感じに憧れて(笑)。あと、アルバイトに時間を費やしたくなかったので、生活に必要なお金を抑えたかったんですよね。本当にノリなんですけど、周りの人に話していたら気がつけば物件が決まって。2年生の3月くらいからシェアハウス生活がはじまりました。和室だし、住人は全員男だし、その上半分以上が一人暮らし未経験だったからたくさん揉め事もあったし、現実はまったくキラキラしていませんでしたけど。でも、家賃6万円くらいのところに5人で住んでいたので、光熱費を入れても家賃はひとり約2万円に抑えられていました」


当時のシェアハウスの様子


 学生時代を振り返り、「これまでの人生のなかでは大きな岐路だった」と話す小野さん。ものづくりの基礎や考え方は授業で、人との関わり方やチームビルディングは大学祭実行委員会、学生会、シェアハウスや似顔絵のアルバイトから得てきました。
「高校生の頃に考えていたように、クリエイティブなことだけに集中した学生生活をおくっていたら、今の仕事はできなかったと思います。いろんな人をつなぎ、まとめるという意味では、学生時代も今も、やっていることは変わらないですね。想像していたビジョンとは違ったけれど、結果的に良かったと思います」

「ねばならぬ」からの開放。
方向転換、軌道修正は自由自在

 大学生時代も卒業後も、「何か」に固執せずに流れに身を任せたからこそ、自分が想像する以上の出会いや経験を得てきた小野さん。ただ、学生時代には、周囲が個人の制作に集中するなかで、学生会や大学祭、サークルの立ち上げに走り回っていたことに劣等感もあったと言います。
「クリエイティブ以外のことばかりやっているな、という劣等感みたいなものはありました。やっていることは楽しいし、無駄とも思わないけれど、まわりと比べるとちょっと不安というか。でも、当時の自分に声をかけてあげるとしたら『不安に思うことはないよ』と言ってあげたいですね。今でもつきまとっている感情ではありますが、でも、そこまで不安に思うことではない。中途半端でも、全部使えるものになっていたら、最終的に仕事に結びついていく。まぁ、こんなことを言っても、当時の自分には無視されそうな気がしますけどね(笑)」


小野さんが卒業制作で発表した漫画『危機危険なこの世ナウ』


 小野さんは卒業制作の作品を漫画投稿サービス「ジャンプルーキー!」に投稿し、編集部からも「一緒に漫画をつくりましょう」とコンタクトがありましたが、その頃は就職先も決まっており、入社後は仕事が忙しくなったため、その話は立ち消えました。しかし、小野さんは”漫画を描きたい”という欲求を手放したわけではありません。
「ゲームもつくりたいし、漫画も描きたい。そのあたりは割とふわっとしています。流れに任せて生きてきた自分の経験から、『思い描いていた生き方と違う』とか『目標を達成できない』ということに、必要以上に不安がらなくてもいいんじゃないかと。自分自身が、できること・やりたいことでしか動けない人間なので、そこをガチガチに固めてしまうと動けなくなるんです。『どうとでもなるやん』くらいの、ゆるい心持ちでいるほうが、なんだかラクでいられると思います」