Follow Seian

SEIANOTE

成安で何が学べる?
どんな楽しいことがある?
在学生の制作活動から卒業後の活動までを綴る
「SEIANOTE(セイアンノート)」です

ABOUT

目の前の“好きなこと”を続けられたから、この仕事をしている自分がいる

INTERVIEW

卒業から12年目

目の前にある“好きなこと”を
続けられたから
この仕事をしている自分がいる

山田泰三さんは、生まれ育った島根県松江市で「ゆく写真館」を主催するカメラマン。
依頼主のもとへと赴き、それぞれが思い入れのある場所で家族写真を撮影するのが「ゆく写真館」の特徴です。
山田さんがシャッターを切る1日1日は、家族が“ここにいること”の幸せを刻む日々でもあります。

山田泰三さん

カメラマン

1984年島根県生まれ。2007年に写真クラス(現:写真コース)卒業。卒業後、地元である島根県の写真館で働いた後に独立。松江市を中心に、思い出の場所へ出張して家族写真を撮影する「ゆく写真館」を主宰。


あっという間に過ぎていく
“幸せの記録”を写し撮る

 山田泰三さんが主宰する「ゆく写真館」は、普通の写真館とはちょっと違います。スタジオでカメラをスタンバイしてお客さんを待つのではなく、子どもたちがお宮参りをする神社や、お花見をする公園など、お客さんのもとへ山田さんが出向いて撮影するスタイル。
 取材日にも、山田さんはカメラを持ってとあるお宅へ。結婚式の撮影を依頼されたことを機に、何度も撮影しているご家族が自宅を新築されたとのことで、今日は新しい家で遊ぶ子どもたちを撮影。子どもたちと一緒に遊びながら、キャッチボールでもするかのようにシャッターを切っていきます。
「子どもは自由に動いてくれるので、その動きに合わせて大人が動いていると、いい写真が撮れるのかなと思います。一緒に遊んでいる感覚というか、遊ばれているというか(笑)」
 撮影する人たちの“日常”にすっと溶け込んで、その一瞬を一生に残る写真にする。これが、山田さんが手がける「ゆく写真館」の仕事です。


「ゆく写真館」撮影中。子どもたちはおもちゃを広げて、遊びに夢中。「子どもしか写っていない写真にも、その背景には“家族の写真を残そう”と思ってくれている親の愛が詰まっている。“家族が今ここにいて幸せ”という記録が、人の一生に残る写真になるのだと思う」と山田さん。

この日、山田さんが撮影した「ゆく写真館」の写真。実は、子どもたちの七五三の写真も山田さんが撮影したもの。



 「ゆく写真館」の仕事は、主に土曜・日曜・祝日。平日は地元企業や行政から依頼される広告などの撮影が多いそう。2018年に撮影を担当した、UIターンを推奨する島根県仁多郡奥出雲町の定住支援PR「DEEP TOWN OKUIZUMO」は「APA AWARD 2018」に入選。『年間 日本の広告写真2018』(玄光社)にも掲載されました。


「DEEP TOWN OKUIZUMO」パンフレットでは、島根県仁多郡奥出雲町の人々を撮影し、広告写真家の登竜門とも言われる「APA AWARD 2018」に入選。


卒業後に直面した現実の壁と
つながりから広がった新しい仕事

 山田さんが成安造形大学の写真クラスを卒業したのは2007年。地元・島根で「ゆく写真館」をスタートしたのは2011年のことでした(「ゆく写真館」と屋号を決めたのは2013年)。実は山田さん、卒業後に一度広告スタジオに就職しましたが、1年を満たずに退社したのだとか。
「いつも目の前のことしか考えていなかったので、就活の時期になって写真関係の仕事を探して、大阪の広告スタジオで採用が決まって就職したんですけど、現実の壁にぶち当たって辞めちゃったんですよね。やっぱり広告はハードな世界だし、寝られなかったり、撮影するものも自分が撮りたいものとはちょっと違っていたりして、このまま続けたいとも思えなくて……

 退職後、撮影のアルバイトをしながら生活していた山田さんですが、卒業から1年が経過し、「別に大阪にいる意味もないな」と島根に帰郷します。
「大阪でフワフワしているよりは、地元に戻ってきてからのほうが気持ちが落ち着いていたと思います。戻ってくるときは、ずっとそのまま島根にいようと思っていたわけでもないので”とりあえず1回帰って落ち着こう”という心境でした」

 島根で写真に関わる仕事を探し、写真現像店で働きはじめて3ヶ月が過ぎた頃、山田さんが高校生のときに卒業アルバムをつくってくれたカメラマンから「うちの写真館で働かないか?」と声をかけられます。写真現像店では撮影する機会がないため、すぐに写真館に転職し、卒業アルバムを撮影したり、家族写真を撮影するようになりました。
「3年くらいすると、仕事も任せてもらえるようになって、そこから先のサイクルがちょっと見えるようになってくるんですよね。このまま同じサイクルを続けていくのか、1回自分の力でやってみるのか……。当時、26歳くらいだったんですけど、失敗するなら若いうちかなとも思って、独立しようと決意しました」

 デジカメやスマホが進化し、インスタグラムも開設されはじめた当時、家族写真や結婚式の写真もより自然な表情で撮影したものが求められつつありました。加えて、松江市には国宝指定された松江城、宍道湖岬に立つ島根県立美術館、八重垣神社や神魂神社など、ロケーションも豊富。そこで山田さんはあえて”写真館”という場所を構えず、自らが足を運んで“ゆく”スタイルを選びます。

山田さんが撮影した「ゆく写真館」の写真は、いわゆる“家族写真”とは異なる。写真を見ていると、写っている子どもや家族に会ったことがないのに、思わずニンマリしたり、ほっこりしたり、自分の家族に会いたくなったり……。

 最初は友人や知人から依頼を受けていた仕事も、徐々に口コミが広がり、webサイトを見て松江市外や島根県外からの問い合わせも増えていきました。こうしてあちこちに“ゆく”うちに、山田さんはあることに気づきます。
「島根は人口も少なくて、“都会に行く=ワンランク上を目指す”みたいな感覚があったので、戻ってくるときには正直、“また都会でひと花咲かせたい”とも思っていたんです。でも、撮影でいろんなところに行っていると、意外とまちのことを全然知らないことに気づいたんです。大学で地元を離れたので、高校生の行動範囲でしか故郷を知らなかったんですよね。それで“ここにいるのもいいな”と。やっぱり、生まれ育った場所というのが“いいな”と思う大きな理由だと思います」


目の前にある好きなことを
追い続けた大学4年間

 大学を卒業し、仕事も場所も環境もめまぐるしく変化していった山田さんですが、「写真に携わること」は変わりませんでした。そんな写真との関係は、成安に入学する以前から始まっていたのだそう。
「カメラマンになりたいとか、どこかに就職したかったわけでもないんです。美術の授業が好きで、絵を描くのも好きで、中・高校生の頃からカメラも好きで。高校生になると、デジカメが5万円くらいで買えるものが発売されたので、はじめてお小遣いでカメラを買って、撮影したりしていました」
 写真のコースがある大学を探し、推薦入試で成安造形大学に合格。大学にほど近い堅田のアパートを借りて、山田さんいわく「大学を使いまくる日々」がスタートしました。
「家にネット環境がなかったのでパソコンルームでずっと調べ物をしたり、webサイトを制作する授業とかも好きで他のコースの授業を聴講したり、図書館では蔵書にない本の購入申請ができたので、高くて買えない写真集をたくさん申請したり、学生数も少なかったので、他コースの人と仲良くなったり。とにかく、大学を利用しまくってました(笑)」

 大学の4年間は、自分の作品と向き合う時間でもあります。山田さんも「写真で何を表現すればいいんだろう?」と悩みながら、地元に帰省したときにシャッターを切っていました。

山田さんが2年生の頃に撮影した、廃園が決まった故郷の幼稚園。

 山田さんが在学中の頃、写真コースの学生は3年生になると個展で作品を発表するカリキュラムがありました。山田さんが会場に選んだ場所は、島根県立美術館内のギャラリー。帰省したときに“いつも見ていたはずの風景に対する違和感や奇妙さ”を感じるままに撮影した作品を展示しました。

京都や大阪のギャラリーで展示する学生が多いなか、島根県立美術館内のスペースを借りて開催した3年次の個展の様子。撮影した風景のなかには、ここに住む人ならきっと“知っている風景”があったり、作品を観て、忘れていた風景や記憶を思い出す人もいたのかもしれない。

 「大学に入学して一度地元を離れ、久しぶりの帰省で見た故郷は、なんだか風景が違う感覚がありました。その感覚を写真で表現してみようと、撮りはじめたんですけど、その頃は卒業して地元に戻ろうとかは全然考えていなかったですね。“こういう写真家になりたい”というイメージもなかったですし……。ただ、目の前にある好きなことが写真で、写真だけは続けられた。その延長線に“気がついたら今の仕事をしている自分がいる”という感じなんです」


成安で学んだこと、
今だから思う“やりたかったこと”

 大学をフル活用し、作品とも向き合った4年間を過ごした山田さんですが、地元の人や場所と関わることが多い今だからこそ「在学中にやりたかったこと」があると言います。
「大学生のときはアパートと大学の往復だったので、もっと自分が住んでいたまちのことにも興味を持っていれば、もっといろんなことを知れたのになと思います。仕事をするようになってから、地域のことを知るのは重要だなと感じるようになりました。成安はロケーションもいいし、滋賀にはきっとほかにも魅力的なところがたくさんあるはず。大学に通いながら地域の人と関わってみたかったですね」

「僕が在学していた当時、写真の仕事といえばアーティストになるか、広告業界に行くかの二択しか知らなかったんですけど、実際にはもっと幅広い仕事があるので、在学中に触れられたらよかったなとも思います。ただ、作品を通して自分と向き合ったり、自己表現としての写真を突き詰めていく時間がたくさんあったことは、今の自分を支える芯になっているし、自分の糧となる“これだけはやれるんだ!”というものを見つけられたので良かったなと。もし、成安に入学していなかったら、他人が見ても“いいな”と思える家族写真は撮れていないと思います」