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SEIANOTE

成安で何が学べる?
どんな楽しいことがある?
在学生の制作活動から卒業後の活動までを綴る
「SEIANOTE(セイアンノート)」です

ABOUT

美術も、生活も「幸せ」のため。

INTERVIEW

卒業から3年目

美術も、生活も「幸せ」のため。
すべての原点は学生時代に

2015年度に現代アートコースを卒業し、京都市立芸術大学大学院に進学。
アーティストとして在学中から精力的に展覧会で作品を発表してきた菊池和晃さん。
大学院修了後は、作家であり、夫&父として家族を支えるべく、金属部品の製作所に勤務する会社員でもあります。「すべては幸せのため、美術を続けるため」と語る、菊池さんの学生時代から変わらぬ制作ペースの秘密とは?

菊池和晃さん

美術作家

1993年京都府生まれ。2016年、成安造形大学美術領域現代アートコース卒業。2018年、京都市立芸術大学大学院 構想設計クラス修了。『第18回ニパフ・アジア・パフォーマンス連続展』(3331 Arts Chiyoda)や『1floor2017』(神戸アートビレッジセンター)などで精力的に作品を発表する一方、私生活でもパートナー(妻)である、にしなつみとのユニットとして2016年に初個展『KISS』(KUNST ARZT)を開催。


生活の土台を整えれば
思い切り自由に制作ができる

Q.01

成安を卒業後、京都市立芸術大学大学院に進学され、4ヶ月前(2018年7月取材当時)に大学院を修了されたばかりですが、現在の環境を教えてください。

今は金属や樹脂の部品を加工する製作所で働きながら、制作を続けていて、秋には成安造形大学が運営する「キャンパスが美術館」の企画『2018 秋の芸術月間 セイアンアーツアテンション 11 playing BODY player』と、ボーダレス・アートミュージアムNO-MAでの展覧会『以”身”伝心 からだから、はじめてみる』には、妻とのアーティストユニット・菊池和晃+にしなつみで参加します。


美術に特化した身体”を目指し、自身の肉体をトレーニングするように作品を制作・発表するのが菊池さんの特徴。《Muscle:series》は筋トレマシンと、絵を描くマシンが一体化。描けば描くほど、菊池さんの筋肉も鍛えられていく。


菊池さんが勤務し、祖父が営む製作所事務所の一角には、作品の制作スペースが確保されている。《Muscle:series》を制作中の菊池さん。
Q.02

これまでは大学、大学院と制作中心の生活だったわけですが、社会に出て、ご結婚されて家族を支えていくなかで、不安はありませんでしたか?

大学院のときから、修了後はどこかに就職して働きながら作品をつくろうと思っていました。それは、大学生のときに先生がある学生に「アルバイトしながら制作するよりも、就職したほうが時間はつくれる」とアドバイスされていたのを聞いていて。
大学を卒業して、美術を続けていく人は、どこかで苦しくなっていく。何が最初に苦しくなるかというと、生活じゃないですか。あと、「僕は美術をやっているから、作家だから社会に適応できません」っていうのは、美術に対して失礼だと思うんですよ。そもそも、美術は人を不幸にするものではないですし。
だったら、先に生活を固めておいて、あとは自由にやろうと。給料があって、生活の基盤ができていれば、美術を続けることには不安にならないですよね。結婚したのが大学院1年生のとき、子どもができたのが大学院2年生のときだったので、京芸の先生とかにはビックリされましたけど(笑)、自分たちの生活を考えたとき、30歳くらいまでに子どもが3〜4歳になって、少し手が離れるようになってたほうがいいなと、妻とも話していたんです。




Q.03

大学院時代と、今とでは、制作スタイルに違いはありますか?

仕事があるので単純に手を動かす時間は減りましたけど、もともと、僕の作品は実際に手を動かす時間よりも、コンセプトなどを考えることに時間を使っていたので、あまり影響はありません。
大学時代と違って、今不安に思うのは「来年、再来年どうなるのか?」ということ。だからこそ、制作中心だった生活のリズムを変えないために「今どういうふうに制作をしなければいけないか」「今このコンペに出しておいたほうがいい」と、考えるようになりました。


入学後は、劣等感にさいなまれる苦しい日々。
それでも、自由につくれることは楽しかった


Q.04

大学入学時から、アーティストを目指していたのですか?

親に聞くと、小さい頃に「芸術家になりたい」と言っていたらしいんですけど、僕は覚えてません(笑)。高校生のときは何も知らなくて、“美術=岡本太郎”のイメージで、みんな自由で型破りなことをすると思っていたんですよ。漠然と近所の大学に入学するか、働くなら整備士の資格を取ろうかなって考えていたんですけど、高校2年生の夏に美術の先生から「絵を描くだけが美術じゃないんだよ」と、村上 隆さんの著書を教えてもらって美術の方向を考えはじめました。
そこから、近所のちびっこも通うような絵画教室で週に1回、デッサンを勉強し始めるんですけど、もう……僕のなかの岡本太郎のイメージが崩れるわけですよ(笑)。瓶と木を目の前に置かれて「さぁ、描きなさい!」と言われても、うまく描けないじゃないですか。結局、そのまま馴染めず、サボったりしながら受験が迫り、完成したデッサンはわずか10枚くらい(笑)。
賢くもないからセンター試験で受かるわけないし、絵も描けない。そんなとき、体験授業で受験できるAO入試があることを知り「これはチャンス」と思い、それで成安造形大学に入学しました。

Q.05

入学後は、どんな生活が待っていましたか?

それが……、1年生のとき、ほとんど大学に行かなくなったんです。入学が決まり、「今度こそイメージしていた“岡本太郎生活”が待っている!」と思ったら、絵画教室にいたときよりも長時間のデッサンに、パソコンやアプリケーションの基礎的な授業……。まわりのみんなは、美術の高校だったり、美術予備校に通っていたから、基礎を学んできていたんですよね。最初から上手だし、合評のときも、みんながきれいな絵を展示しているなかで、僕だけクシャクシャの絵を飾って恥ずかしかった。コンプレックスもあって、「これがやりたかったことなんかな?」とイヤになってしまったんです。



Q.06

一度はイヤになってしまった大学に、再び足を運ぶようになったきっかけは?

2年生になり、現代アートコースを選択してから、いくつかきっかけがあるんですけど、大きいのは自分の作品をつくって発表したこと。
基礎が必要なこととか、美術は僕がイメージしていた夢のような世界ではないことをなんとなくわかってきたなかで、やっぱり自由につくれることが楽しくて。学内で個展をやる授業だったんですけど、そこで作品をはじめて人に見せたときの高揚感はすごかったです。作品を見せて、リアクションが返ってくるのは嬉しかったし、楽しかったですね。
あと、大学にはあまり行っていなかったですけど、2年生の頃から「年に3〜4回は展示をしよう」と決めていたんです。はじめて学外で展示したのは、2年生になるときに応募した公募展『花山天文台gallery week』(2013/京都大学花山天文台)。学内でもギャラリーを借りて展示をしていました。この頃の展示ペースが、今のベースになっているのかもしれません。


最強のパートナーとの出会いと、作品の原点。
きっかけはとある授業の課題

Q.07

学生の頃は、どんな作品を制作されていたんですか?

今の作品の原点になっているのが、3年生のときに制作したパフォーマンスの課題です。この課題は、すでに発表されている作家のパフォーマンス作品を自分でひとつ選び、そのまま模倣をするというもの。僕は、“パフォーマンスアートの母”とも称されるマリーナ・アブラモヴィッチと、長年彼女のパートナーであるウーライとのパフォーマンス《AAA-AAA》を、当時交際していた彼女(現在は妻であり、アーティストユニットのパートナー)と再現し、《あああーあああ》を制作しました。


はじめてのパフォーマンス作品となった《あああーあああ》。それまではプロジェクターを使ったインスタレーションを制作していたものの、この経験から身体を用いた表現に作品が変化していったそう。


そうすると、先生に「もっとやってみたら?」とアドバイスをもらって、同じくマリーナ・アブラモヴィッチの呼吸を交換するパフォーマンス《Breathing in / Breathing out》から《吸入と排出》、ビンタをし合う《Light / Dark》から《明と暗》を制作。これは3年生の進級制作展でもパフォーマンスを行いました。


これらのパフォーマンスがきっかけで、美術史で描かれてきた“男女の愛のカタチ”を自分たちの身体を通して表現するアーティストユニットとしても活動をスタート。



Q.08

大学院に進学しようと決めたのは、いつ頃でしたか?

大学3年生くらいですね。はじめは就職も考えていたんです。でも、僕からすると、ようやく大学生活が始まった感覚だったので「このまま働くのはイヤだな」と。やっと、作品がつくれる、美術に触れられるようになって1年もまだ経っていないのに、もう就職のこと考えないといけないのか……と。
そんなときに先生から大学院という選択肢もあると教えてもらい、美術を続けていきたいので進学を決めました。京都市立芸術大学を志望したのは、自分とは真逆の性質を持つ場所に、身を置いたほうがいろんな変化が起こると思ったから。先生方のアドバイスもあり、大学院の先生にアポを取って会いに行き、僕のことを知ってもらうと同時に、京都市立芸術大学がどんな雰囲気なのか、実際に見たり、聞いたりしました。


Q.09

修士課程(大学院)の2年間は、どういう時間でしたか?

授業もより専門的になるし、これまでは感覚的に制作していたので、きちんと言葉で説明できるようにと思い、最初は勉強のため本ばかり読んでいました。京都市立芸術大学の持つインテリジェンスな空気を取り込もうとしていたんです。だけど「やっぱり無理やな」と思い(笑)、これまでのように自由につくってきた部分を強化していこうと、考え方をシフトしました。
大学時代からそうなんですけど、まわりのみんなが美術の基礎を学んできたなかで、自分は何も知らなかったし、できなかった。だからこそ、人に言われたことは素直に受け取れたんですよね。多分、“素直にできること”が、僕の強みなんじゃないかなと思います。「素直」ってことは、ノイズが少ないとも言えるので、エネルギーに対してそのまま大きく表現できる。作品を見て、ひと目で何をしているのかがわかることも、重要だと気づきました。


大学院1年時に、初個展となる『菊池和晃 + にしなつみ 個展 KISS』(2016/KUNST ARZT/京都)を開催。

京都市立芸術大学大学院の修了時、卒業制作展で発表した《アクション》で大学院市長賞を受賞。《アクション》は20世紀に活躍した画家ジャクソン・ポロックの手法「アクションペインティング」から着想した作品。


美術を続けるにしても、生活するにしても、
「幸せになる」には何をするべきか?


Q.10

菊池さんと同じように、美術を続けていきたい人に、何かアドバイスするとしたら?

これまで、妻や先生、いろんな人にアドバイスをもらって、助けてもらった上に今の自分がいます。進学を決めたときも、「やめたほうがいい」と反対する人はひとりもおらず、みんなに背中を押してもらいました。大切なのは、方向を自分で決めて、意思表示すること。そうじゃないと、まわりもアドバイスしようがないと思います。


Q.11

今後の目標は?

今は展覧会の時期も重なっている上に、妻は出産も控えているので、本当に鬼のようなスケジュールではあるんですけど……。いただいた話をお断りしたとして、その理由が子どものことや生活のことだとしたら、この先後悔したり、何か思うことがあるかもしれない。美術をやるにしても、生活するにしても「幸福になる」ってことが、僕ら夫婦の目標なので、そうではない要素は選択しないほうがいいなと思っています。
そう思うようになったのも、学生のときに、宇野君平先生(美術領域准教授)が「若いうちは、来た話は全部引き受けたほうがいい」と言われていて。カッコイイなと感銘を受けました。「若手」と呼ばれる時期が30〜35歳くらいで終わるとしたら、そこから先に進むには、ある程度のキャリアを積んでおかないといけません。まだ知名度もないので、これからもガツガツやっていこうと思っています。